昭和の笑いの終焉

志村けんの死と土筆の俳句

志村けんと俳句と土筆今朝は驚いた。志村けん死去のニュース。コロナ感染の公表から僅かに5日。
10日前には、春の陽気とともにコロナ禍も遠ざかると思われた。志村けん感染のニュースが走った夜には、あみたん7289さんの「四季折々」に、

いつものところいつも顔だす土筆かな

の句を見つけて、再び笑いが戻ってくることを疑わなかった。

ひとつの時代が終わった。しかし、笑いを絶やしてはならない…(泰)


桜の俳句季語(土筆)|末成歳時記
東京ではあまり土筆を食べない。道端に伸び放題である。土筆が盛んに詠まれるようになったのは、土筆を食べて育った子規のおかげか。

桜の俳句句碑探訪|世の中の桜
品川区の来福寺に、大島蓼太の句碑がある。そこに刻まれた句は、世の中の移り変わりが激しいことを指す慣用句の元になった。

桜の俳句河合曽良|俳人のシニザマ
曽良は、貧しさゆえに土筆を摘んで食べていたらしい。その辞世は、「春に我乞食やめてもつくしかな」。土筆に筑紫が掛かる。

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