コロナ感染者数をどう見るか

思惑の中に散りゆくさくらかもシレナイ

コロナ感染者数田中面倒太氏のツイートに、

都から逃げてゆきたし花筏

というのを見つけて、ウンウンと頷いている自分がいた。だが待てよ…

日々増大していく感染者数に、友人は韓国の方を向いて、彼らの国は危機を脱したと羨ましがっている。しかし、ちょっと違うんじゃないのかな。
韓国は感染者数を危機の指標とすることで、一か八かの賭けに出たのである。検査数を増やせば、感染者数が増えることを分かった上で。
もちろん、ある程度の感染者がいたとしても、医療崩壊しない体制を整えていたという自信もあったのだろう。また、動線の制御で抑え込んでいくことも当初から念頭にあったと思う。
現在でも、韓国の状況は変わらない。人口が半分の国であるにも関わらず、報告の上がる死者数は今でも日本と同等か、それ以上の数値を記録しているのだ。ただ言えるのは、明らかな新規感染者数の減少。しかしこれは、集中検査開始直後のデータ推移としては、当然の結果である。勘ぐれば、総選挙を前に上手く仕組んだなという感じではある。

日本は今、それに倣って感染者数を増やそうとしている。ある程度、医療体制と隔離策に目途が立ったのだろう。感染者数のピークを越えたところで、いち早く終息宣言を出そうとしているのかもしれない。
それはそれでいいことなのだと思う。現在の状況はどう見てもパニックである。何か理由がなければ、そのパニックを抑え込むことはできない。
ただ、国の判断がどうなろうと、マスクは生活必需品になった感がある。もはや冬の季語とは言っていられない。(泰)


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