アマビエより甘酒婆を拝むべし

甘酒婆|咳病を治した婆さんの伝説

甘酒婆と俳句昨年、「八海山 麹だけでつくったあまさけ」の売り上げが凄いことになっていると聞いて、何かおかしいなと感じていた。今年、蓋を開けてみればこれである。つまり、甘酒の売れる時には咳病が流行る。
むかし、全国に甘酒婆という妖怪がいて、夜な夜な「甘酒はないか」と訪ね歩いたそうな。それに応えると病気になるものだから、軒先には甘酒婆を退散させるための杉の葉が吊るされたという。

ただ、小日向日輪寺の甘酒婆はちょっと違う。こちらは実在の婆さんで、婆さんのつくった甘酒は、大変に咳病に効果があったらしい。遺徳を忍んで、日輪寺境内に甘酒婆地蔵が祀られているが、その顔はとても穏やか。
けれども、甘酒婆自身も、咳に悩まされた人物だったという。悩んだ末に作り出した甘酒を人のためにと振舞い、苦しみを取り除いた末、さらに人々を救いたいと言い残して死んでいったという。

自らを省みれば、ドラッグストアの店頭にマスクを血眼になって探す我儘マックス爺となっている。この手で作ることだってできるものを、恥ずかしいことであった…

甘酒にいま存命の一本箸  伊丹三樹彦

(泰)


アマビエと甘酒婆季語(甘酒)|末成歳時記
甘酒は夏の季語。江戸時代には、暑い夏の栄養ドリンクとして人気だったという。また、神事には欠かせない醴酒でもあり、日本文化に欠かせない飲料である。

アマビエと甘酒婆伊丹三樹彦|末成歳時記
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アマビエと甘酒婆秋日庵秋之坊|俳人のシニザマ
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