独言さえ許されない時代かも

独言|まことを貫いた男の嘆息が聞こえる

独言ネット空間に発せられた言葉は、誰かを傷つけないではいられないのか。全て独言で済めばいいものを。
そう思いながらもキーボードをたたく道理無さ。

むかし、壮大な独言を吐いた漢が居た。鬼貫という。享保3年(1718年)に「おのづからのまこと」を見出し、「まことの外に俳諧なし」と、二帖に渡って俳論を書き連ねた。
自論というのは反論あればこそ成り立ち、それゆえに一流を成すものである。ただ、論ずれば嵐が巻き起こる現代に、こんな独言を吐くことができただろうか。
インターネットは、多くの情報を搔き集めるに便利であるが、革新を妨げるツールともなり得る。もう、鬼貫のような漢は出てこないかもしれない。


泡ひとつ吐いて金魚の独り言

これは、柏木瓢楽氏のツイート。泡沫の俳句を言い当てたようで面白い。
金魚は論を持たないが、見つめる者には意味を成す。空虚なる独言さえ美しい。
インターネット上の騒音に疲れた時、ただひたすらに俳句を思う。(泰)


鬼貫と俳句季語(金魚)|末成歳時記
金魚は、フナの突然変異を利用して生まれた。原産地は中国で、南北朝時代には既に飼育されていたとされる。日本には室町時代に伝来。「金魚」で夏の季語になる。

鬼貫と俳句上島鬼貫|末成歳時記
松尾芭蕉と並んで称され、東の芭蕉・西の鬼貫とも言われる江戸時代中期の俳諧師。「独ごと」にある「まことの外に俳諧なし」の境地に達したのは、25歳の時とも。

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