古池の蛙|東京を彩る季語

深川芭蕉庵で生まれた蛙と芭蕉稲荷

古池や蛙とびこむ水の音 芭蕉

古池の蛙このあまりに有名な松尾芭蕉の句(*詳細)は、決して深い森の中で生まれたものではない。1686年に、深川にある芭蕉庵で行われた句合で詠まれたもの。
深川芭蕉庵は、魚問屋鯉屋の主でもあった門弟の杉山杉風に借りていたもので、そこには生簀があった。その生簀は、荒れ放題となり古池の様相を呈していたという。

芭蕉庵のあった場所は、小名木川が隅田川と合流するところで、今は町工場が立ち並んでいる場所。かつては松平遠江守の武家屋敷に取り込まれ、旧蹟として保存されていたそうだが、幕末の混乱で分からなくなっていたらしい。
ところが、その場所を再び明らかにしたのが、芭蕉庵にいた蛙であった。芭蕉は、掲句を自らの唱える「不易流行」の代表句と考えて蛙を愛でたというが、それが昂じて、石造りの蛙を身近に置いた。それが、1917年9月30日の台風による高波で出てきたのである。古池の蛙

石蛙の発見地には、ただちに芭蕉稲荷が建てられた。1921年11月、東京府はその場所を旧跡「芭蕉翁古池の跡」に指定し、芭蕉庵跡となった。1994年には、「古池や蛙とびこむ水の音」の句碑も建立され、稲荷境内は、狭いながらも蕉風俳諧の聖地となった。

なお、付近には3種の蛙が存在する。ひとつは、この芭蕉稲荷境内に置かれた石蛙。ふたつめは、北に300mほどのところにある江東区芭蕉記念館に保管展示されている高波で出現した石蛙。最後は、50mほど西へ行ったところにある芭蕉庵史跡展望庭園の水場で飼育されている蛙である。

【写真上】芭蕉稲荷。1917年当時の御神体は石蛙であったとか。芭蕉庵の位置は確定されたものではなく、辺り一帯が芭蕉庵跡として旧跡に指定されている。境内には「奥の細道旅立参百年記念碑」も。

【写真下】芭蕉稲荷の石蛙。これは手水横の蛙。境内には他にも何匹か蛙がおり、それを数えてみるのも面白い。

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