春の山|東京を彩る季語

東京の春を象徴する場所「上野の山」

江戸人は上野をさして春の山 子規

上野公園の西郷隆盛像正岡子規の「寒山落木卷一」明治二十五年項にある掲句は面白い。山深い四国から上京した子規にとって、上野は「山」とは映らなかったのだろう。
けれども、江戸の昔からこの場所に住む人にとって、「春の山」と言えば「上野の山」のことである。ウィキペディアには、「武蔵野台地末端の舌状台地『上野台』に公園が位置することから、『上野の山』とも呼ばれる」とある。
1625年に、徳川家光が鬼門封じのための寛永寺を建て、初代貫首の天海僧正が、奈良の吉野山から桜を移植した。芭蕉の時代の元禄期には入山が解放されたものの、幕末の1867年には規制がかかる。1873年3月25日に日本初の公園地に指定されたことにより整備され、再び一般開放された。
上野の山と言えば、花見に代表される憩いの場であるが、歴史を見ると、上野戦争や関東大震災、東京大空襲で死者を積み上げた哀しみの山でもある。第二次世界大戦後、それを弔うように1250本の桜が植えられた。上野の山

現在では、1898年に建てられた西郷隆盛像が上野公園の象徴となっており、上野動物園や東京国立博物館などの文化施設が充実した公園になっている。また、「野球」を造語したとも言われる正岡子規を顕彰する「正岡子規記念球場」もある。
因みに上野の山の最高地点は、摺鉢山の24mである。その北西100mには、1631年に建立されてから様々な災難に遭い、現在では顔だけをのこす上野大仏が安置された、標高22mの大仏山がある。

【写真上】高村光雲の手による西郷隆盛の銅像。逆徒の汚名が解かれた後、1898年12月18日に除幕式が行われた。身長は370㎝ある。

【写真下】東叡山寛永寺の堂舎のひとつ、京都の清水寺に見立てた清水観音堂。上野の山に現存する最古の建造物。本堂裏手には、秋色桜がある。

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