日本橋の春|東京を彩る季語

ここから芭蕉の活躍が始まった

発句也松尾桃青宿の春 芭蕉

日本橋の春と俳句寛文12年(1672年)に伊賀上野から上京した松尾芭蕉は、はじめ日本橋近くの小田原町(現:室町1丁目)に住んでいた。この句(*詳細)は、延宝7年(1679年)の歳旦句で、ようやく俳諧宗匠として身を立てた時の、喜びと決意を詠んだものである。

現在、「日本橋鮒佐」の店先に掲句の句碑が立っている。芭蕉が住んでいた場所は特定できていないが、大体この鮒佐のあたりだろうと考えられている。
鮒佐は、佃煮の元祖の流れを汲む名店ではあるが、1954年(昭和29年)に日本橋に進出してきたから、芭蕉はその店を知らない。日本橋の春と俳句けれども日本有数の老舗どころとあって、日本橋三越本店をはじめ、和菓子の玉英堂・扇子の伊場仙・村田眼鏡舗・佐々木印店・海老屋美術店・小津和紙と、芭蕉の時代から続く名店が付近に散らばっている。
当時は魚河岸があり、江戸随一の繁華街だったという。魚河岸は1935年(昭和10年)に築地市場へ移転し、現在では銀座ほどの賑わいは見られない。それでも、こだわりのある客を中心に、多くの買い物客を寄せ集めている。

【写真上】あじさい通りの「おかめ桜」。日本橋界隈は隠れた桜の名所でもあり、3月になると様々な種類の桜が次から次に開花する。このおかめ桜は3月上旬に咲く。

【写真下】日本橋鮒佐。左に見えるのが句碑で、1993年(平成5年)に建立された。


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