鳴かない蛙|東京を彩る季語

修行僧のために鳴かなくなった蛙

月かげにしのぶや聲のなき蛙 滝澤公雄

鳴かない蛙の俳句新撰組との関わりで有名な無量山傳通院の塔頭である慈眼院の境内に、「不鳴庭(なかずのにわ)」の石碑がある。不鳴庭は、傳通院七不思議のひとつとなる伝説を持つ。則ち、修行僧の勉学の邪魔にならないよう、このあたり、無量山に住む蛙は鳴かなくなったという。
不鳴庭の近くには沢蔵司稲荷がある。沢蔵司という修行僧が、住職の夢枕に稲荷神となって立ったことを縁起とする神社で、その稲荷神はたいへんな蕎麦好きで、近くの「稲荷蕎麦萬盛」によく通ったという。

鳴かない蛙が日本にいるのかと調べてみると、ニホンアカガエルというのが、比較的それに近いみたいだ。もちろん鳴かないわけではないが、人がいる環境では全く声を出さないらしい。
鳴かない蛙の俳句
桜の花が散った頃、不鳴庭に行ってみたが、辺りは鳥の声以外何も聞こえない。蛙も声を忍ばせているのかと思って、ようやく茂り始めた草木の間を丹念に探してみたが、ハナアブなどが飛び出すばかりで、蛙の姿は見られない。
仕方なく、不鳴庭の石碑の後方にある掲句の句碑を拝んで、蕎麦を食って帰った。

【写真上】境内の真ん中にある不鳴庭碑。近くには松尾芭蕉の「一しぐれ礫や降って小石川」の句碑がある。この句碑は、掲句を詠んだ芭蕉堂の滝澤公雄氏が発起人となり、大正7年10月12日に建立したもの。

【写真下】慈眼院の御堂。この横に沢蔵司稲荷がある。修行僧として入門した沢蔵司は、わずか3年で奥義を極め、住職の夢枕に稲荷神となって立ち、「太田道潅公が千代田城内に勧請した稲荷大明神」だと正体を明かして消えたという。慈眼院および沢蔵司稲荷は、その直後の1620年に創建された。

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