子規庵の糸瓜|東京を彩る季語

子規の最後を彩った糸瓜

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 子規

子規庵の糸瓜棚鶯谷のラブホテル街を抜けると、根岸のしっとりとした住宅街に変わる。その一角に、俳句の聖地・子規庵がある。
子規庵は、正岡子規が暮らした場所で、息を引き取った場所でもある。その壮絶な死に様は、死の僅か半日前に自ら筆を取って記した、絶筆三句と呼ばれる糸瓜の3句に表れている。

現在の子規庵は昭和25年(1950年)に再建されたものであるが、往時が偲ばれる簡素な建物である。旧前田家の二軒長屋であったとされ、明治27年(1894年)に移り住んでから、故郷の松山から母と妹を呼び寄せて3人で暮らした。3人で住むにしても決して広くはない建物であるが、子規は、しばしばここで句会を開いた。
かつては、ここから上野の山も見渡せたという。病床にあっても、句のイメージが無限に広がる空間だったのだろう。今ではビルに阻まれているが、きれいに手入れされた庭には多くの植物が顔を見せ、思わずそれを謳いたくなる。中でも、糸瓜棚が素晴らしい。子規庵の糸瓜棚
子規の亡くなった日である9月19日は、糸瓜忌ともいう。それは、あまりに名高い絶筆三句によるが、糸瓜から取る水は、痰切りの薬となり、結核を病んだ子規には必需品だった。

秋に子規庵に来ると、見事な糸瓜棚が目に入る。畳敷きの居間は寝転ぶことも可能で、子規と同じ視線で、最後に見つめた糸瓜の実を見上げることができる。

【写真上】子規忌の頃、子規庵の糸瓜棚は見事な実をぶらさげている。

【写真下】書斎からも庭を眺めることができる。糸瓜棚は、ここからも見上げることができる。

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