東京俳句東京俳句https://tototokyo.com/archives/5897東京俳句東京俳句https://tototokyo.com/archives/6079週刊俳人のシニザマ秋日庵秋之坊 | 週刊俳人のシニザマhttps://uranari819.net/archives/akinobou/生年不詳~享保3年1月4日(1718年2月3日) 極限の生活こそが、人生を彩る言葉を提供してくれる。しかしそれも、真の静けさを身につけてこそ。 幻住庵を訪ねた秋之坊。その遁世者を、「我宿は蚊のちいさきを馳走かな」の句で迎え入れた芭蕉。つまり、豪華に振舞えるものはここにはないが、蚊の羽音のような、世に蔓延る喧騒からは隔離されていると。 退出時には「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」を贈答句とし、やはり末成歳時記目には青葉山ほととぎす初がつお | 末成歳時記https://yeahscars.com/kuhi/meniha/みめにはあおば やまほととぎす はつがつお曠野(山本荷兮編1689年)所収の山口素堂の句。「目に青葉山ほととぎす初鰹」とされることもあるが、本来はこちらの「目には青葉山郭公初鰹」。 素堂家集にも収められており、「かまくらにて」の前書がある。延宝6年(1678年)に鎌倉材木座海岸で詠んだものだと言われている。 徒然草第百十九段にも出てくるように、鰹は鎌倉の名物。江戸時代には縁起物として大変な人気を呼末成歳時記俳人たちの辞世 | 末成歳時記https://yeahscars.com/jisei/生きざまを映し出す辞世 古事記における辞世のはじめは、倭建(ヤマトタケル)を助けようと走水の海に飛び込んだ弟橘比売(オトタチバナヒメ)の和歌「さねさし相摸の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」である。則ち、「敵に仕掛けられた火中にあっても、問いかけて下さったあなたよ」と歌って、荒れ狂う海に身を躍らせると、波は鎮まり、七日後に姫の櫛が打ち上げられた。 以降、武士や文人たちによって、多くの辞世